| 国際化されることで国境を越えてそれぞれの国の経済活動が急速に交流を進めてゆくことでヒト、モノ、カネ、情報が国境で阻止されることはなくなる。ところがアルメニアでは、1991年ソ連邦の崩壊で逆行した。 |
| アルメニアがソ連邦の中にあったときには、国境は西隣のトルコと南隣のイランだけであった。現在のアルメニア(地方)で製造された大型の農耕機械や電子機器製品は、何の問題もなくグルジアやアゼルバイジャン地方を越えて輸送されていった。製品の仕様もアルメニアの外で決められ、生産量もソ連邦の中で計画され、注文の形で連絡されてきた。 |
| ところがソ連邦の崩壊と共に北にグルジアとの国境ができ、東側及び西南側にアゼルバイジャンという国境ができてしまった。まず、それぞれの国の中での経済活動となり、従来の計画自体を作成する機能がなくなってしまった。従って、ウクライナやカザフスタンなど旧ソ連邦からの注文もなくなってしまった。原材料の調達ルートも分断され、入手できなくなった。 |
| それどころか、従来問題なくグルジア地方の黒海の港を経由して輸出できていたアルメニア国内で製造される製品は、グルジア国の国境を越えて輸送しなければならなくなった。そのために輸送する際にも国境ができ、そこで課税され価格も上昇する結果になった。 |
| 更に従来ソ連邦の中で自由に往来できていた人たちが、国境ができたためにその自由さを失った。異なる政治体制の傘下に入ることを拒否して独立問題さえ生じた。アゼルバイジャンとの間に生じたナゴルノ・カラバフ問題は、国境の紛争となって残っている。 |
| 経済活動のヒト、モノ、カネの自由な流通が困難どころか阻止される状態に近くなってしまった。残された情報の交流に国境はないはずであるが、情報を伝達するシステムが十分に整っていなかったためにまだ自由さは確立されていない。 |
| 2006年7月2日 |
| 加藤文男 |