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アルメニア共和国の中小企業振興支援

〜アルメニア産業の概況〜

1 歴史的背景
 アルメニアは、旧ソ連の中では銅採掘・精錬、金属加工、機械、石油化学、軽工業など比較的鉱工業の発達した地方であったが、1991年のソ連崩壊以降の産業連関の崩壊にともない、ほとんどの企業が操業停止に追い込まれた。ナゴルノカラバフ紛争などの民族問題も発生し、アルメニア政府は、政治的混乱を経て大幅な財政赤字、対外債務の増加、貿易収支の大幅赤字、高失業率に直面した。旧ソ連邦時代の産業資産の売却を行い、民営化をすすめ、90年代後半以降は海外直接投資促進と輸出振興を目指して民間セクター振興を国是に掲げ、様々な政策を打ち出しているのが現状である。
 1991年の旧ソ連邦崩壊後の混乱と、崩壊後にできた国境という壁の存在がアルメニア産業へ大きなダメージを与え、それが経済復興の病根としてまだ根深く残っている。また、1998年の北部を震源とする巨大地震の影響が15年を経ていまだに残っていることも経済の回復に大きな影響を及ぼしている。
2 産業構成とGDP
 GDPによる産業構成は、工業約20%、農林業約30%、サービス業約40%、建設業が約10%となっている。主な産業は、銅や亜鉛の精錬とセメント産業が中心である。農業においてタバコ、ぶどう、オレンジが栽培されるがここで製造されるコニャック(ブランデー)アララトは世界的に有名である。
 旧ソ連邦に属していたアルメニアは、ソ連の崩壊と共に市場を失ったが1998年〜1994年の間に困難を克服し、1998年には、1990年のGDPの61.7%に回復した。同年のロシア経済の悪化でロシア向け輸出が減少し、生産低下の原因となり、民営化された大企業は操業停止や部分操業に追い込まれている。
 現在の課題は、財政赤字と貿易赤字である。しかし、CIS諸国への輸出は品質、価格、納入条件で国際競争力は十分とはいえない。
 2002年のGDPは一人当たり約800USドルである。通貨はAMDアルメニアドラムであるが、ドル化している。国内における住宅売買もUSドルが主体である。1998年の給与所得の平均は、110USドルほど、これでは生活が成り立たずに仕送りや物品の販売などで生活している実態があるようだ。ロシア、欧州、米国からの出稼ぎや移住(ディアスポラ)による仕送りで生活が成り立っているといわれている。国民の多くがアルメニアの金融機関を信用していないためにUSドルをタンス預金している状態ともいわれる。
3 生産計画について
 従来、旧ソ連邦という社会主義経済の中で大きな市場があり、すべての産業では分業化され、中央にて生産計画がたてられていたので各企業には定期的にその工場規模に応じた注文が必ずあった。
 たとえば、旧ソ連邦の各都市で見ることのできるアパート郡は、デザインや形が非常に似ていることでも良く理解できる。このように計画経済の下では、製造する製品の仕様や規格、更に生産数量はすべて「モスクワ」が決めて配分していた。労働者用のアパートの規格はすべてソ連邦共通でそのアパートの取り付けられる機器、機材も、規格があり、使用する部品も作る製品も生産する工場も上部政府で決定されてきた。このソ連邦の生産計画の農耕機械と電子機器の一部がアルメニアに注文の形で入っていた。
 政治的崩壊によるその後の政治的、経済的混乱は、各企業に対する注文の中断をもたらし、分割された各国の産業に大きなダメージを与えた。それぞれの国が独立してしまうと国境ができ、その追加注文に対する障害も発生し、注文が途絶えてしまった製品もある。従来問題なかった原材料さえも、入手が困難になった。
 農耕機械製造企業では注文がないため稼働率がほぼ0に近い状態にあった。数十台並んだ大型旋盤やフライス盤など工作機械も使用できる設備もごく一部で古い材料の残材が積みおかれている状態である。
 ドリルの歯や治具などの工具製造企業においては、欧州からの注文で従業員をやっと維持できている状況である。両企業の経営者も過去の影響を嘆くだけで前向きに取り組む姿勢もあまり積極性はみられない。
4 マーケティングについて
 旧ソ連歩時代には、すべての製造業では、注文は待っていれば自動的に入ってきた。従って営業活動やマーケティングは、全く必要なかった。一部の企業では、現在でも注文は自動的にくるものという概念が染み付いたままで、急に頭と行動を切り替えろといわれてもできないのが実情である。入らなくなった注文をどのようにしてとってよいかわからず戸惑っている実態も残っている。自由主義経済の中でもまれてきた我々にはすぐに理解しがたいこともある。
 しかし、逆にソ連邦の崩壊とその後の状況についてすばやく理解し、いち早く対策をうち利益を出すことができた人たちは大きな利益に結びつけることができている。いくつかの中小零細企業の実態を視察する中で、数は少なかったが「良くこれだけの投資をできるものだ」と感心する企業もあった。これらの悪い状況と全くかけ離れすぎていた。アルメニアの首都エレバンでは、中央政府と近いだけに、この切り替えが比較的早くできた企業が多かったのでので、他地域に比較し早く発展し、地方都市は取り残される結果になった。
5 大量に入ってくる外国製品
 ソ連邦崩壊で自由経済となり、自由競争にさらされて、自由主義経済諸国の製品との競争が厳しくなり、品質、コストで勝つことが難しくなった。すでに日本のテレビ、冷蔵庫、洗濯機ほかの電気製品は、空港近くの量販店で高級品として販売されており、この販売店は大きな利益をあげている。(店の作りも日本の量販店であるヨドバシカメラやビッグカメラ、コジマとあまり変わりはない。ただ、製品の種類が限定されているだけである。郊外にあるだけに製品を大量に搬入する建物の構造は、日本の量販店に勝っている部分もある。)
 また、中国製の衣料品、雑貨品は、町の中心部のバザーやショッピングモールにおいてたくさん見られる。中国製品を扱う店は、「高級中国製品」と大きな看板は掲げているが品質について評価する市民の目は厳しく、これを信じてはいない。
 物流の面では、トルコやアゼルバイジャンというアルメニアと関係のよくない輸送路の壁があり、外部からの製品の進入から守られているとはいえ、ドバイ経由で大量に輸入されている現実がある。海外から安く品質の良い部品や製品の輸入が増加することは避けられそうもない。従ってアルメニアにおける産業、特に製造業、製品の選択には十分配慮する必要がある。
6 小さいアルメニア市場
 アルメニアの人口は、約320万人であり、この実数も確かとはいえないらしく、働き盛りの若い人は海外へ出かけており、国内におけるその人口の割合も少なく、消費地というには厳しい。さらに周辺諸国からの難民も30万人を越えるといわれ、経済的に豊かとはいえない階層になっているからである。アルメニアは、国内産業にとっても外資企業にとっても魅力的な市場とはいえない。
 従来のウクライナやカザフスタンなどソ連邦を対象としていて製造していた製品や規模では、アルメニアの国内市場の実態にマッチしない。それまでの製品はアルメニア以外のソ連邦向けの商品であった。例をあげれば、農耕機械はウクライナやカザフスタンなど大規模農業用の製品であり、このままではアルメニアの岩石の多い農地ではそのまま使えない。
 産業として成立するものは、毎日の生活で欠かすことのできない食料品に限定される。牛乳、バター、チーズ、ヨーグルトなどの酪農製品、果物や野菜のジュースは、必ず消費があり、現在でも産業として成り立っている。その一部は、周辺諸国へ輸出もされている。
 しかし、チーズやヨーグルトの生産設備の多くは古く、衛生面でも十分ではない。チーズやヨーグルトの製造設備も温度計は破損し、温度管理は手における感触で行っているところもあり、品質を確保し、維持できるとは思えない。ブドウを原料とするワインやコニュックは、歴史も伝統もあり、昔から有名である。
 今後アルメニアの目指すべき産業は、食料品や雑貨など身近で消費される製品を除き、国内消費の製品ではなく、海外輸出向けの製品になるだろう。海外へ輸出することで産業を活性化する必要がある。これが最優先である。新製品の開発も、新しく取り組むのではなく、従来製品の機能の追加や性能の向上でカバーできることが多い。全くの新分野の商品開発は、現行製品で経験をつんだ後に取り組むことである。
7 リゾート地としての存在意義も薄れた
 サービス業においては、旧ソ連邦の人たち、特に詩人、作曲家、音楽家、文学者などのリゾート地であったアルメニア北部地方も、その地ではなくなり、客としてまったくきてくれなくなった。作曲家の家、小説家の家など形として設備も残ってはいるが顧客がなくなった。たまたま宿泊施設を訪問したが、顧客に対するサービス精神は全く感じられなかった。旧ソ連邦の習慣に慣らされた国民とはいえ、このままでは顧客を呼ぶことはできない。大きな意識改革が要求される。
 北部地方は、真夏の気候もしのぎやすく快適に過ごすことができる環境にある。アルメニアで最も大きいセバン湖は観光地としての基礎的な条件は整っており、周辺国との関係が険悪でなければ顧客は呼べる状況にある。ただ、観光客へのPRも自分でやらなければ客はきてくれない。国境という壁ができたことをどのように克服して顧客数を増やすかを考えなければならない。
2006年7月2日
加藤文男
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